寒かったですねぇ!! ― 2008年02月09日 21時00分46秒
今日は、本当に寒かったですねぇ!!
大阪にも雪が積もりました。
動物たちは、どうやってこの寒さをしのいでいるのでしょう。
サンワーズ店主の愛ネコ、チビタはこうやってるみたいです。
しかし、この後にもドラマが!!
続きは、「PONKUNLIFE」で! ↓
http://www.ne.jp/asahi/olympia/sunwards/mzfile/9-3ponkunlife.htm
ぐふふ、ちょいとホッコリした気分になっていただければと思います。
富士のように ― 2008年02月16日 20時52分54秒
サンワーズ店主が、静岡県に行ってまいりました。
よいお天気で、一日中はっきりと富士山が見えたそうです。こんなことって、あんまりない(と、タクシーの運転手さんが言ってた)そうです。
作家:吉川英治の代表作「宮本武蔵」の中にある、武蔵のこんな言葉を思い出しました。
「あれになろう、これになろうと焦心(あせ)るより、
富士のように黙って、
自分を動かないものに作り上げろ。
世間へ媚(こ)びず、
世間から仰(あお)がれるようになれば、
自然と自分の値打は世の人が極(き)めてくれる。」
うむむ・・・カッコイイ・・・というか・・・重い言葉やなぁ。
富士のように、あせらず、たゆまず、堂々と。
そんな生き方をしたいものです。
HARIMAYA(ハリマヤ)を語りたい。~その1 ― 2008年02月25日 12時41分23秒
最近、幻のシューズ「HARIMAYA(ハリマヤ)」に関するコメントをたくさんいただいています。↓ http://sunwards.asablo.jp/blog/2006/03/06/
20年ほど前までに陸上競技をされていて、一度ここのシューズを履いたことのある方なら、きっと忘れられないメーカーだと思います。どのコメントにも、皆さんのハリマヤに対する愛着が、ひしひしと感じられます。
あの、足に吸い付くようなフィット感・・・。
ハリマヤって、一体どんなメーカーだったのでしょう。
ここに、ハリマヤの1989年度のカタログがあります。こんな内容の歴史が紹介されています。
題して「日本のマラソンの歴史は、そのままハリマヤの歴史です」
【それは足袋から始まった】
1903年、文京区大塚に生まれた「ハリマヤ足袋(たび)店」。当時、店の近くにあった東京高等師範学校の学生、金栗四三らは、とくにこの店の足袋を愛用していた。それから8年後のストックホルム五輪は日本マラソン界の幕開けとも言うべき年であった。
【金栗選手の初舞台】
ストックホルム五輪予選に、金栗選手は「ハリマヤ足袋」の足袋を履いて出場していた。折り返し地点を過ぎた時点で足袋の底は剥(は)がれ、はだしで走った。11月も半ばを過ぎた泥道は冷たく、悪条件に悪条件が重なる。しかし、ゴール直前で先頭を走っていた佐々木選手を抜いて見事優勝。当時の世界記録を27分も更新した記録だった。
と、マラソンシューズが「足袋」から始まったという、貴重な歴史が紹介されています。ここから、マラソンシューズへの改良の物語が始まるのです。
つづきは、次回のブログで!!!!
HARIMAYA(ハリマヤ)を語りたい。~その2 ― 2008年02月26日 20時22分40秒
さて、昨日の続きです。
【走るための破れない足袋】
それから金栗選手とハリマヤ足袋店との共同開発が始まった。
材料選びから始まって、様々な改良・改善を経て、日本発の「マラソン足袋」が誕生した。
ストックホルム大会には、日本の選手達はこの「マラソン足袋」を履いて出場。しかし、ストックホルムの石畳のコースに布製の足袋では、ショックが大き過ぎて膝を痛めてしまう。この大会で金栗選手は、実力を発揮できないままついに棄権。
苦い経験を生かし再度、挑戦は続く。
ドキュメンタリーで白黒の映像でも見ているようです。
「マラソン足袋」誕生。マラソンシューズ誕生まで、さらなる年月が費やされることになります。
まだまだ、つづきます!
HARIMAYA(ハリマヤ)を語りたい。~その3 ― 2008年02月29日 10時55分44秒
さてさて、「ハリマヤを語りたい」のつづきです。
【改良に改良を重ね・・・】
足袋の底に丈夫なゴムをつけ、ショックをやわらげる凸凹(でこぼこ)を加えた改良足袋が生まれました。
金栗選手達は、下関~東京間1,200kmを20日間かけて走破する実験で満足すべき成果を得た。
1919年には、足袋の“こはぜ”を取り除き、甲ひもタイプの「金栗足袋」が誕生した。1928年のアムステルダム五輪ではこの足袋をはいた山田選手が4位、津田選手が6位に入賞した。
さらに1936年のベルリン五輪では、日本代表選手の孫基禎選手が優勝。1951年、ボストンマラソンに出場した田中茂樹選手は2時間27分45秒で優勝。いずれも「金栗足袋」をはいていた。
その翌々年、さらに改良を加えたマラソンシューズの第一号ともいうべき「カナグリシューズ」をはいて出場した山田敬蔵選手がボストンマラソンで優勝した。
【若き選手達のために。】
日本のマラソンの歴史はそのままハリマヤの歴史。
これからもより速く走るためのマラソンシューズを目指し、あらゆる研究・改良が続くだろう。あとに続く選手達の栄光のために。ひたすら走り続ける若き選手達のために。
以上が、1989年度のハリマヤカタログに紹介されている「日本のマラソンの歴史は、そのままハリマヤの歴史です」 の全文です。
「下関~東京間1,200kmを20日間かけて走破する実験」なんて所は、もう、絶句してしまいます。
しっかし、1,200kmを20日間で走破ということは、一日の走行距離は60kmでしょう?・・・あれ?マラソンのレースでの耐久性を調べるのなら、60kmを1回走るだけで十分じゃん。1日で実験終わるじゃん。1,200kmも走る理由は?何も下関から東京まで走らんでも、町内をぐるぐる回ったっていいんじゃん?
な~んて、ツッコンではいけない!!この、ツッコミどころ満載な人間臭いエピソードこそが、ハリマヤなんだなぁ。いやあ、オモシロイ!!
ハリマヤのエピソード、まだまだ紹介したいと思います。
※マラソン足袋の歴史がJOC(日本オリンピック協会)のサイトでも紹介されています。併せてお読みいただくと、よりおもしろいです。
世界を制したマラソン足袋↓
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