山田敬蔵35万キロ走破の記念メダルに涙する。~“金栗四三のマラソンシューズ”がやってきた!(その3)2013年08月03日 19時26分01秒



(つづき)

金栗四三のマラソンシューズ”が
オリンピアサンワーズにやってくることが決まった時、
Y田さんにはどうしても見ていただきたいと思いました。

Y田さんは、現在75歳。
若き日から、金栗さんや、金栗さんに続くランナーたちを
あこがれ、尊敬し、その背中を見ながら走ってこられました。
そして、なんと、今も走り続けておられます。

Y田さんは、
昨年12月の「開運!なんでも鑑定団」の放送後、
いい番組だった。いい話をしてくださった
と、感極まる声でお電話をくださいました。
そして、以前、山田敬蔵(やまだ・けいぞう)さんから
「35万キロ走破達成の記念メダルをもらった」
というお話をしてくださったのでした。

この日、Y田さんはその「山田敬蔵のメダル」を持って、
金栗四三のマラソンシューズ”に会いに来られました。

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山田敬蔵(1927-)
(1953年アメリカ・ボストンマラソン優勝時の山田敬蔵さん)

金栗さんと山田さんが初めて出会ったのは1949年(昭24)。
金栗さんは58歳、山田青年は22歳だった。
その時、山田さんは嬉しさがこみあげてきてならなかったという。
「あー、この人が子供の頃から憧れていたマラソンの神様なんだ!」

その後、山田さんは1952年のヘルシンキ五輪マラソンで25位。

1953年にはアメリカ・ボストンマラソンで優勝。
その小さな体で世界を制した山田さんの活躍に、
いまだ敗戦の傷跡残る日本の人々は熱狂した。
山田さんをモデルにした映画も作られたほどだ。

ボストンマラソンでの日本選手団の監督は金栗さんだった。
金栗さんはゴールした山田さんのもとに駆け寄って、
山田君ありがとう。山田君ありがとう」と
涙を流して“自分のことのように”喜んだのだそうだ。

そして、山田さんに、こんな言葉を残した。

「これからもできるだけ走ってくれ」
「走れなくなったとしても、招待を受けることがあったらその招待は受けなさい」
「たとえ小さな日本人であっても努力することによって
 日本一、世界一になれるといういい見本になれる」

山田さんはその後の生涯を、金栗さんの言葉のままに走り続けた。

金栗先生の代わりに走れるだけ走ってやれ

山田さんは、そう心に決めて走り続けた。
50歳になっても、60歳になっても、
70歳になっても、80歳になっても、
レースに出場し、走り続けた。
そして、ゴールする度に、胸の中の金栗さんに、こう語りかけた。

先生、また一つレースを走ったよ


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山田さんは2009年に81歳でフルマラソンからの引退を表明。
このメダルはその2年前、2007年に、山田さんが
35万キロ走破を達成された記念に発行されたもの。
(Y田さん所蔵)

このメダルは、
70歳(!)を目前にしたY田さんが、あるマラソン大会に出場した折に、
80歳(!)を目前にした山田さんから
キミはよく見かけるなぁ。がんばってるなぁ」と、
直接いただいたのだそうです。

このメダルを見たとき、驚きました。
これは、「山田敬蔵」さんの記念メダルのはずです。
しかし、表に象(かたど)られているのは、「金栗四三」さんです。
「日本マラソンの父・金栗翁」の文字もあります。

そして、このメダルの裏には、
金栗さんの信条である「体力・気力・努力」の文字。


金栗さんと山田さんの物語を思い出すたびに胸に押し寄せるものが、
このメダルを見ても、ぐわっと押し寄せてきました。
山田さんは・・・本当に・・・金栗さんのことを片時も忘れなかったのだ。

金栗さんは、生涯に25万キロを走った。
山田さんは、35万キロを走破し、なおも走り続けた。

金栗先生の代わりに走れるだけ走ってやれ

誰よりも日本マラソンの発展に尽力しながら、
マラソン選手としては決して栄光に浴したとは言えない
“師”金栗四三。
その偉大さを、俺が証明してやるのだ――。
山田さんの言葉には、そんな“覚悟”が迸(ほとばし)っている。

だからこのメダルは、山田さんから師へと贈った金メダルなのだ。
山田さんは、ご自身の栄光を、勝利を、金栗さんに捧げたのだ。
そう思うと・・・・・・熱いものがこみあげてくる。

金栗さんは、山田さんをはじめ多くのランナーを育て、残した。
金栗さんから山田さんに渡った襷(たすき)は、
今もなお多くのランナーたちにつながっているはずだ。
そして、Y田さんも、その襷を受け取ったおひとりなのだと思う。

Y田さんは、今年、フルマラソンの完走に挑戦されるそうです。

“金栗四三のマラソンシューズ”とY田さん。


※文中の山田敬蔵さんの言葉やエピソードは、「金栗四三展」(2002年・熊本県玉名歴史博物館)に山田さんが寄稿された『金栗先生との思い出』から引用しています。

(つづきます)

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“金栗四三のマラソンシューズ”その正体↓


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