ふたりが跳んでいる時、ふたりは一緒に跳んでいる。祝!男子三段跳び全国インターハイ出場!~京都「跳躍ツインズ」物語(その3) ― 2016年08月01日 19時20分30秒
(つづき)
果たして、彼らはふたたび跳ぶことができるだろうか?
この2年間、双子の兄弟は病院へ通いどおしだった。
お母さんは、今となっては、いつ、誰を、何回、
病院に連れて行ったのか思い出せないくらいだ。
今年の2月に初めてふたりが店に来てくれた時、
兄は膝と足首を痛め、弟は腰を疲労骨折していた。
特に弟は重症だった。
コルセットで固めた身体が痛々しかった。
シューズの履き心地を確かめるために
その場で軽くステップを踏むだけでも
痛みが走って顔をしかめるほどだった。
まして、三段跳びや走幅跳びで踏み切る際には、
体重の十倍以上の負荷がかかるとも言われている。
「このまま競技をつづけたら、
身体がどうなっても知りませんよ」
というドクターの警告は、おおげさでもなんでもなかった。
川見店主は、彼らのシューズを全面的に見直すと共に、
「姿勢」の改善を徹底するように彼らに求めた。
そのために必要なトレーニング器具や、
体のコンディションを整えるサプリメント等も提案した。
彼らはすべてを受け入れ、実践した。
復活を願い、目指し、一日一日の努力を怠らなかった。
こうして、3月、4月、5月が過ぎた。
「跳躍ツインズ」は高校最後のシーズンを迎えた。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
<兄の戦い>
6月5日。京都インターハイ。男子三段跳び。
兄は予選を14m62cmの跳躍で総合2位通過。
つづく決勝、以下、兄の記録。
1回目 ○ 15m04cm(自己ベスト)
2回目 × ファウル
3回目 ○ 14m66cm
4回目 × ファウル
5回目 ○ 15m16cm(自己ベスト)
6回目 ー
この日、兄の跳躍は他の選手と次元が違っていた。
自身初の15m越えジャンプを連発、
これまでの自己ベスト14m95mを21cmも更新し、
他の追随を許さない、圧倒的な優勝を決めた。
その2週間後、6月19日、近畿インターハイ。
兄は15m12cmのロングジャンプで予選を総合1位通過、
決勝では堂々3位の結果を残し、
念願の全国インターハイへの進出を決めた。
-----------------
<弟の戦い>
6月3日、京都インターハイ。男子走幅跳び。
弟は予選を6m58cmの跳躍で総合13位通過。
つづく決勝、以下、弟の記録。
1回目 ○ 6m40cm
2回目 ○ 6m80cm
3回目 ○ 6m70cm
4回目 × ファウル
5回目 ○ 6m75cm
6回目 × ファウル
順位7位。
自己ベスト6m85cmに迫る跳躍を見せたが、
あと一歩、近畿大会までには及ばなかった。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
先日、双子の兄弟とお父さんとお母さんがご来店。
川見店主:「お兄ちゃん、全国インターハイ進出おめでとう!
ビックリ!すごい!さすが!
お祝いにサンワーズTシャツあげる!」
兄:「ありがとうございます!」
川見店主:「弟くん、跳べたね!よかったね!」
弟:「近畿大会にも進めなかったので悔しいです」
川見店主:「うん、その気持ちもわかる。
でもね、ちゃんと記録を残せたってことは、
『競技』として成立したってこと。
それに6m80cmも跳べたんでしょ?
自己ベストのほぼタイ記録じゃないの。
4月まで走れなかったんだから上出来です。
陸上競技はそんなに甘くない!」
弟:「はい」
川見店主:「これからキミの走幅跳びがはじまるんです。
よし、今度は7m1cmを跳べたら、
キミにもサンワーズTシャツあげる!」
弟:「7mと1cm……ですか?」
川見店主:「そう、7mの壁を乗り越えたらってこと」
弟:「わかりました、がんばります!(笑)」
お父さん:「もう1年早くこのお店に来ていたら、
ふたりにはもっといい思いを
させてあげられたかもしれません」
川見店主:「でも、お父さん、
これだけ追い込まれた状況で、
これだけ限られた時間だったからこそ、
彼らも、お父さんもお母さんも
そして、私たちも、この5か月間、
こんなに一生懸命になれたのではないですか」
お父さん:「ああ……そうかもしれませんね」
そう、この5か月間、
ふたりがどれほど真剣に自分自身に向き合い、
どれほどその若き命を燃焼させてきたか――。
その充実感は、彼らの顔にハッキリと表れている。
そんな彼らを見ていると、
うれしくて、ついつい冗談を言ってみたくなった。
ふたりはこんなにソックリなんだからさ、
弟の調子が悪い時にはこっそり入れ替わって、
代わりにお兄ちゃんが走幅跳びをやっても
バレないんじゃない?
兄:「それは無理ですよ(笑)。
それに走り幅跳びに関しては
僕は弟にはかなわないですから」
弟:「兄の全国インターハイが決まった時は、
とてもうれしかったです。
でも、時間が経つと、だんだん、
『アイツだけいい思いをして……』
って、ちょっと腹が立ってきました(笑)」
ふたりの言葉からは、お互いがお互いをよく理解し、
強く認め合っていることが伝わってくる。
それぞれの試合を見ている時、
ふたりはこんなことを思っているそうだ。
兄:「弟がファウルしないように、と思ってます」
弟:「同じです。兄がファウルしないように」
彼らは……とても深い部分でつながっているのだろう。
きっと、兄が跳ぶ時には弟の気持ちも、
弟が跳ぶ時には兄の気持ちも、一緒に跳んでいるのだ。
ふたりが跳んでいる時、ふたりは一緒に跳んでいる。
ならば、兄の全国インターハイは、弟の全国インターハイだ。
だから、兄KOTAくんと、弟KIMITOくんを、
一緒に、最大に祝いたい。
いよっっつ!
果たして、彼らはふたたび跳ぶことができるだろうか?
この2年間、双子の兄弟は病院へ通いどおしだった。
お母さんは、今となっては、いつ、誰を、何回、
病院に連れて行ったのか思い出せないくらいだ。
今年の2月に初めてふたりが店に来てくれた時、
兄は膝と足首を痛め、弟は腰を疲労骨折していた。
特に弟は重症だった。
コルセットで固めた身体が痛々しかった。
シューズの履き心地を確かめるために
その場で軽くステップを踏むだけでも
痛みが走って顔をしかめるほどだった。
まして、三段跳びや走幅跳びで踏み切る際には、
体重の十倍以上の負荷がかかるとも言われている。
「このまま競技をつづけたら、
身体がどうなっても知りませんよ」
というドクターの警告は、おおげさでもなんでもなかった。
川見店主は、彼らのシューズを全面的に見直すと共に、
「姿勢」の改善を徹底するように彼らに求めた。
そのために必要なトレーニング器具や、
体のコンディションを整えるサプリメント等も提案した。
彼らはすべてを受け入れ、実践した。
復活を願い、目指し、一日一日の努力を怠らなかった。
こうして、3月、4月、5月が過ぎた。
「跳躍ツインズ」は高校最後のシーズンを迎えた。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
<兄の戦い>
6月5日。京都インターハイ。男子三段跳び。
兄は予選を14m62cmの跳躍で総合2位通過。
つづく決勝、以下、兄の記録。
1回目 ○ 15m04cm(自己ベスト)
2回目 × ファウル
3回目 ○ 14m66cm
4回目 × ファウル
5回目 ○ 15m16cm(自己ベスト)
6回目 ー
この日、兄の跳躍は他の選手と次元が違っていた。
自身初の15m越えジャンプを連発、
これまでの自己ベスト14m95mを21cmも更新し、
他の追随を許さない、圧倒的な優勝を決めた。
その2週間後、6月19日、近畿インターハイ。
兄は15m12cmのロングジャンプで予選を総合1位通過、
決勝では堂々3位の結果を残し、
念願の全国インターハイへの進出を決めた。
-----------------
<弟の戦い>
6月3日、京都インターハイ。男子走幅跳び。
弟は予選を6m58cmの跳躍で総合13位通過。
つづく決勝、以下、弟の記録。
1回目 ○ 6m40cm
2回目 ○ 6m80cm
3回目 ○ 6m70cm
4回目 × ファウル
5回目 ○ 6m75cm
6回目 × ファウル
順位7位。
自己ベスト6m85cmに迫る跳躍を見せたが、
あと一歩、近畿大会までには及ばなかった。
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先日、双子の兄弟とお父さんとお母さんがご来店。
川見店主:「お兄ちゃん、全国インターハイ進出おめでとう!
ビックリ!すごい!さすが!
お祝いにサンワーズTシャツあげる!」
兄:「ありがとうございます!」
川見店主:「弟くん、跳べたね!よかったね!」
弟:「近畿大会にも進めなかったので悔しいです」
川見店主:「うん、その気持ちもわかる。
でもね、ちゃんと記録を残せたってことは、
『競技』として成立したってこと。
それに6m80cmも跳べたんでしょ?
自己ベストのほぼタイ記録じゃないの。
4月まで走れなかったんだから上出来です。
陸上競技はそんなに甘くない!」
弟:「はい」
川見店主:「これからキミの走幅跳びがはじまるんです。
よし、今度は7m1cmを跳べたら、
キミにもサンワーズTシャツあげる!」
弟:「7mと1cm……ですか?」
川見店主:「そう、7mの壁を乗り越えたらってこと」
弟:「わかりました、がんばります!(笑)」
お父さん:「もう1年早くこのお店に来ていたら、
ふたりにはもっといい思いを
させてあげられたかもしれません」
川見店主:「でも、お父さん、
これだけ追い込まれた状況で、
これだけ限られた時間だったからこそ、
彼らも、お父さんもお母さんも
そして、私たちも、この5か月間、
こんなに一生懸命になれたのではないですか」
お父さん:「ああ……そうかもしれませんね」
そう、この5か月間、
ふたりがどれほど真剣に自分自身に向き合い、
どれほどその若き命を燃焼させてきたか――。
その充実感は、彼らの顔にハッキリと表れている。
そんな彼らを見ていると、
うれしくて、ついつい冗談を言ってみたくなった。
ふたりはこんなにソックリなんだからさ、
弟の調子が悪い時にはこっそり入れ替わって、
代わりにお兄ちゃんが走幅跳びをやっても
バレないんじゃない?
兄:「それは無理ですよ(笑)。
それに走り幅跳びに関しては
僕は弟にはかなわないですから」
弟:「兄の全国インターハイが決まった時は、
とてもうれしかったです。
でも、時間が経つと、だんだん、
『アイツだけいい思いをして……』
って、ちょっと腹が立ってきました(笑)」
ふたりの言葉からは、お互いがお互いをよく理解し、
強く認め合っていることが伝わってくる。
それぞれの試合を見ている時、
ふたりはこんなことを思っているそうだ。
兄:「弟がファウルしないように、と思ってます」
弟:「同じです。兄がファウルしないように」
彼らは……とても深い部分でつながっているのだろう。
きっと、兄が跳ぶ時には弟の気持ちも、
弟が跳ぶ時には兄の気持ちも、一緒に跳んでいるのだ。
ふたりが跳んでいる時、ふたりは一緒に跳んでいる。
ならば、兄の全国インターハイは、弟の全国インターハイだ。
だから、兄KOTAくんと、弟KIMITOくんを、
一緒に、最大に祝いたい。
いよっっつ!
京都が誇る「跳躍ツインズ」の最もアツい夏は、
明日8月2日の岡山市のシティライトスタジアムに訪れる。
男子三段跳び予選は午前10時開始!
おふたりの健闘を祈ります!大いに祈ります!
ふたごの兄弟は3か月間で15足のシューズをフィッティングして、高校最後のシーズンを迎えた。~京都「跳躍ツインズ」物語(その2) ― 2016年07月31日 19時00分56秒
(つづき)
双子の兄弟に出会った時、川見店主はふたつのことに驚いた。
ひとつめ。彼らがあまりにソックリだったこと。
しばらくは、ふたりの顔と名前がこんがらがっていた。
ふたつめ。彼らの跳躍力が優れていたこと。
それは凡人にはないものだとわかった。
兄の三段跳び自己ベストは14m95cm。
弟の走幅跳び自己ベスト記録は6m86cm。
ただ、その素晴らしい記録と、
今の彼らの姿が釣り合わないという印象を受けた。
ふたりの立ち姿や歩く姿に違和感を持った。
川見店主:「ふたりとも姿勢が良くないと思います。
このままの姿勢でそんな記録で跳んでいたら、
いずれ腰の大きな故障につながると思います」
お父さん:「ふたりの姿を見るだけで、
そんなことまでわかるのですか!
実は弟はもう腰を疲労骨折しています。
跳ぶことはおろか走ることさえできません」
川見店主:「えっ!もうそんなに悪くしているのですか!
陸上競技どころではないではないですか!」
お母さん:「お医者さんには、
『このまま競技をつづけたら、
身体がどうなっても知りませんよ』
とまで言われています。
兄も膝と足首を痛めて練習できません」
川見店主:「……まいりましたね。
彼らが跳べるようになるには、
シューズももちろんですけれど、
立ち方、座り方、歩き方から
すべてを変えていかねばなりません」
お父さん:「わかりました。
できることはなんでもします。
ふたりもその覚悟で来ましたから」
この日から双子の兄弟は、
週末になると毎週のようにお店にやってきた。
川見店主はいつも彼らの調子を確認し、話し合い、
必要なシューズを計画し、取り寄せ、
入荷するたびにフィッティングを行った。
その3か月にわたる記録をご紹介する今日のアムフィット!
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
<兄の6足、疾風のフィッテング編>
まずは、兄の3月の3足!
双子の兄弟に出会った時、川見店主はふたつのことに驚いた。
ひとつめ。彼らがあまりにソックリだったこと。
しばらくは、ふたりの顔と名前がこんがらがっていた。
ふたつめ。彼らの跳躍力が優れていたこと。
それは凡人にはないものだとわかった。
兄の三段跳び自己ベストは14m95cm。
弟の走幅跳び自己ベスト記録は6m86cm。
ただ、その素晴らしい記録と、
今の彼らの姿が釣り合わないという印象を受けた。
ふたりの立ち姿や歩く姿に違和感を持った。
川見店主:「ふたりとも姿勢が良くないと思います。
このままの姿勢でそんな記録で跳んでいたら、
いずれ腰の大きな故障につながると思います」
お父さん:「ふたりの姿を見るだけで、
そんなことまでわかるのですか!
実は弟はもう腰を疲労骨折しています。
跳ぶことはおろか走ることさえできません」
川見店主:「えっ!もうそんなに悪くしているのですか!
陸上競技どころではないではないですか!」
お母さん:「お医者さんには、
『このまま競技をつづけたら、
身体がどうなっても知りませんよ』
とまで言われています。
兄も膝と足首を痛めて練習できません」
川見店主:「……まいりましたね。
彼らが跳べるようになるには、
シューズももちろんですけれど、
立ち方、座り方、歩き方から
すべてを変えていかねばなりません」
お父さん:「わかりました。
できることはなんでもします。
ふたりもその覚悟で来ましたから」
この日から双子の兄弟は、
週末になると毎週のようにお店にやってきた。
川見店主はいつも彼らの調子を確認し、話し合い、
必要なシューズを計画し、取り寄せ、
入荷するたびにフィッティングを行った。
その3か月にわたる記録をご紹介する今日のアムフィット!
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
<兄の6足、疾風のフィッテング編>
まずは、兄の3月の3足!
装着するオーダーメイドインソールはすべて最上級インソールのゼロ・アムフィットです!
川見店主が入魂のアムフィット装着作業へ!
川見店主が入魂のアムフィット装着作業へ!
兄の1足目!
トレーニングシューズの最高傑作ビッカーにゼロ・アムフィット装着どん!
兄の2足目!
もうどこにも売ってないであろう、トレーニングシューズの幻の逸品、WINDSPRINTにゼロ・アムフィット装着どん!
もうどこにも売ってないであろう、トレーニングシューズの幻の逸品、WINDSPRINTにゼロ・アムフィット装着どん!
兄の3足目!
三段跳び用スパイクシューズにゼロ・アムフィット装着どん!
三段跳び用スパイクシューズにゼロ・アムフィット装着どん!
つづいて、兄の3月の2足!
短距離用スパイクシューズに入魂の川見店主!!
兄の4足目!
オールウェザー用短距離スパイクシューズにゼロ・アムフィット装着どん!
兄の5足目!
練習用短距離スパイクシューズにゼロ・アムフィット装着どん!
5月には、トレーニングシューズの最高傑作ビッカーをもう1足ご用意。アシックスイージーオーダーでオリジナルカラーのビッカーを作成。
ほんで川見店主が入魂のアムフィット装着作業へ!
兄の6足目!
別注のビッカーにゼロ・アムフィット装着どん!
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
<弟の5足、怒涛のフィッティング編>
まずは2月、初ご来店時の弟くんの1足。
この時、彼は走ることさえできなかった。
彼のカラダをなんとかしなければ!の一心で、
急遽トレーニングシューズの最高傑作ビッカーに
アムフィット装着作業の川見店主↓
弟くんの1足目!
はい、ビッカーにゼロ・アムフィット装着どん!
つづいて弟くんの3月の3足!
怒涛のアムフィット装着作業の川見店主。
弟くんの2足目!
走幅跳び用スパイクシューズにゼロ・アムフィット装着どん!
弟くんの3足目!
オールウェザー用短距離スパイクシューズにゼロ・アムフィット装着どん!
弟くんの4足目!
練習用短距離スパイクシューズにゼロ・アムフィット装着どん!
5月には、弟くんにもトレーニングシューズの最高傑作ビッカーをもう1足ご用意。川見店主が入魂!
弟くんの5足目!
ビッカーにゼロ・アムフィット装着どん!
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
<兄弟4足、逆襲のフィッティング編>
5月末。
いよいよ高校生活最後のシーズンが幕を明けた。
川見店主は、ふたりのスパイクシューズに、
より跳躍力が増すように調整した
特別仕様のインソールを作りあげて装着した。
兄の7足目!
三段跳び用スパイクシューズにスペシャル・ゼロ・アムフィット装着!
弟くんの6足目!
走幅跳び用スパイクシューズにスペシャル・ゼロ・アムフィット装着!
兄の8足目!あーんど弟くんの7足目!
ゲルリークにゼロ・アムフィット装着どうじゃーい!
以上、跳躍ツインズが3か月間でフィッティングしたシューズは計15足。
そしてふたりは、奇跡を起こす。
(つづきます)
中学生の時、弟は走幅跳びをはじめた。兄はそれを見て三段跳びの選手になった。~京都「跳躍ツインズ」物語(その1) ― 2016年07月30日 19時15分25秒
話は5か月前まで遡(さかのぼ)る。
あれは確か2月の末の土曜日、
その電話がかかってきたのは午後3時頃だったと記憶する。
受話器から聞こえる女性の声。
「突然ですいません。
今日は今から予約を入れることは可能でしょうか?」
店はすでに他のお客様で混雑していたし、
それからの時間の予約も詰まっていた。
今から予約を入れるのはムズカシイなと思いながら、
こたえる。
「どんなシューズのフィッティングをご希望ですか?」
「息子が陸上競技をやっています。
三段跳びと走り幅跳びの選手です」
お話を聞くと、その息子さんは超強豪高校の選手で、
三段跳びも走幅跳びも相当な記録の持ち主だった。
「ただ、ずっと故障がつづいていて、
今はまともに跳ぶことができていないのです」
お母さんと思しきその女性の声には、
息子さんのことを思う切なる気持ちがこもっていた。
これはなんとかしないと、と思う。
「わかりました。
ただ、お待ちの時間が長くなるかもしれませんし、
今日はお話するだけになるかもしれませんが、
それでよろしければ、一度ご来店されますか?」
「わー、よかった!ありがとうございます!」
「それにしても息子さんは
走幅跳びも三段跳びもそんな記録で跳べるなんて、
すごい選手なんですね!
なかなかひとりでそこまでの競技をこなせません」
「あのー、ちがうんです。双子の兄弟なんです。
兄が三段跳びを、弟が走り幅跳びをやっているのです」
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
その双子の兄弟は、小学生の頃は水泳に夢中だった。
しかし、中学生になったらそろって陸上部に入部した。
走ることが好きだったわけではない。
入学した新設の中学校にはプールがなかったのだ。
弟の方は走幅跳びをはじめた。その理由。
弟:「中学校の体力測定でやった立ち幅跳びが
学年で一番だったので、できるかなと思って。
それと、走るのはしんどくていやだなぁと(笑)」
兄の方はとりあえず短距離走をはじめた。
兄は毎日グラウンドを走っていた。
弟は砂場で走幅跳びの練習をしていた。
兄には、弟の走幅跳びの練習がとても「楽そう」に見えた。
兄も実は、走るのはしんどくてイヤだなぁと思っていた。
兄:「アイツ(弟)だけ楽な練習をしていいなぁ、
と思ってました(笑)」
動機がどうあれ、兄は顧問の先生に相談する。
先生、僕も走幅跳びがしたいです。
その時の先生の答えが、兄弟のその後を決めることになる。
先生:「兄弟ふたりで同じ種目をやっても、
ふたり一緒には一番になれないだろう?
だから兄のキミは三段跳びをやったらいい」
こうして、兄は三段跳び、弟は走幅跳びの
「跳躍ツインズ」が誕生した。
兄:「はじめは三段跳びがなんだかよくわからなくて、
四段跳びになってましたけども(笑)」
「走ることが好きではない」双子の兄弟であるが、
こと跳躍に関しては凡人にはない力を秘めていた。
ほどなくして、その跳躍力は炸裂する。
兄は中学2年生にして京都市の大会で三段跳び優勝、
地元の新聞記事になるほど話題になった。
弟は中学3年の時に全中(全日本中学校陸上競技選手権)
に出場するまでの選手になった。
ふたりの活躍はめざましかった。
出場する試合の大会記録は、
ふたりによって塗り替えられていった。
「跳躍ツインズ」は地元京都では有名になっていた。
お父さん:「あの頃のふたりは、
勝って当たり前、みたいな感覚でした」
中学を卒業し、ふたりは同じ強豪高校の陸上部に入部。
ふたりの将来は前途洋々に思えた。
もちろん全国を舞台に戦う選手になるはずだった。
しかし、雲行きが変わった。
彼らは、ふたりとも、ケガを繰り返すようになった。
故障し、復調しては、また故障した。
それでも彼らは、その非凡な跳躍力にモノを言わせ、
自己ベストを更新したり近畿大会にも進出したが、
(それだけでもすごいことだけれど)
全国大会と呼ばれる舞台にまでは届かなかった。
時間は無情に、残酷に過ぎた。
高校生活の2年が過ぎ、3年目を迎えることになった。
故障はつづき、とうとうふたりは、
まともに練習することさえできなくなった。
病院や整体に行っても解決には至らなかった。
「このまま競技をつづけて、
身体がどうなっても知りませんよ」
と、さじを投げられた。
兄も弟も、絶望的な気持ちで毎日を過ごしていた。
お父さんもお母さんも、
そんなふたりを見ているのは辛かった。
お父さん:「ケガさえなければ、故障しなければ、
ふたりがもっと跳べることはわかってるんです。
だから、できることはなんでもしてあげたかった。
そして、色々調べてこのお店を見つけました」
この店に行けば、何か道が開けるかもしれない。
お母さんは、いてもたってもいられなくなって、
その店に電話をかけた。こんな風に。
「突然ですいません。
今日は今から予約を入れることは可能でしょうか?」
お父さんはお母さんと双子の兄弟を乗せて、
京都から大阪まで車を飛ばした。
電話をかけてから2時間後には、もう店に着いていた。
こうして、京都の「跳躍ツインズ」と
オリンピアサンワーズとの物語ははじまった。
(つづきます)
あれは確か2月の末の土曜日、
その電話がかかってきたのは午後3時頃だったと記憶する。
受話器から聞こえる女性の声。
「突然ですいません。
今日は今から予約を入れることは可能でしょうか?」
店はすでに他のお客様で混雑していたし、
それからの時間の予約も詰まっていた。
今から予約を入れるのはムズカシイなと思いながら、
こたえる。
「どんなシューズのフィッティングをご希望ですか?」
「息子が陸上競技をやっています。
三段跳びと走り幅跳びの選手です」
お話を聞くと、その息子さんは超強豪高校の選手で、
三段跳びも走幅跳びも相当な記録の持ち主だった。
「ただ、ずっと故障がつづいていて、
今はまともに跳ぶことができていないのです」
お母さんと思しきその女性の声には、
息子さんのことを思う切なる気持ちがこもっていた。
これはなんとかしないと、と思う。
「わかりました。
ただ、お待ちの時間が長くなるかもしれませんし、
今日はお話するだけになるかもしれませんが、
それでよろしければ、一度ご来店されますか?」
「わー、よかった!ありがとうございます!」
「それにしても息子さんは
走幅跳びも三段跳びもそんな記録で跳べるなんて、
すごい選手なんですね!
なかなかひとりでそこまでの競技をこなせません」
「あのー、ちがうんです。双子の兄弟なんです。
兄が三段跳びを、弟が走り幅跳びをやっているのです」
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
その双子の兄弟は、小学生の頃は水泳に夢中だった。
しかし、中学生になったらそろって陸上部に入部した。
走ることが好きだったわけではない。
入学した新設の中学校にはプールがなかったのだ。
弟の方は走幅跳びをはじめた。その理由。
弟:「中学校の体力測定でやった立ち幅跳びが
学年で一番だったので、できるかなと思って。
それと、走るのはしんどくていやだなぁと(笑)」
兄の方はとりあえず短距離走をはじめた。
兄は毎日グラウンドを走っていた。
弟は砂場で走幅跳びの練習をしていた。
兄には、弟の走幅跳びの練習がとても「楽そう」に見えた。
兄も実は、走るのはしんどくてイヤだなぁと思っていた。
兄:「アイツ(弟)だけ楽な練習をしていいなぁ、
と思ってました(笑)」
動機がどうあれ、兄は顧問の先生に相談する。
先生、僕も走幅跳びがしたいです。
その時の先生の答えが、兄弟のその後を決めることになる。
先生:「兄弟ふたりで同じ種目をやっても、
ふたり一緒には一番になれないだろう?
だから兄のキミは三段跳びをやったらいい」
こうして、兄は三段跳び、弟は走幅跳びの
「跳躍ツインズ」が誕生した。
兄:「はじめは三段跳びがなんだかよくわからなくて、
四段跳びになってましたけども(笑)」
「走ることが好きではない」双子の兄弟であるが、
こと跳躍に関しては凡人にはない力を秘めていた。
ほどなくして、その跳躍力は炸裂する。
兄は中学2年生にして京都市の大会で三段跳び優勝、
地元の新聞記事になるほど話題になった。
弟は中学3年の時に全中(全日本中学校陸上競技選手権)
に出場するまでの選手になった。
ふたりの活躍はめざましかった。
出場する試合の大会記録は、
ふたりによって塗り替えられていった。
「跳躍ツインズ」は地元京都では有名になっていた。
お父さん:「あの頃のふたりは、
勝って当たり前、みたいな感覚でした」
中学を卒業し、ふたりは同じ強豪高校の陸上部に入部。
ふたりの将来は前途洋々に思えた。
もちろん全国を舞台に戦う選手になるはずだった。
しかし、雲行きが変わった。
彼らは、ふたりとも、ケガを繰り返すようになった。
故障し、復調しては、また故障した。
それでも彼らは、その非凡な跳躍力にモノを言わせ、
自己ベストを更新したり近畿大会にも進出したが、
(それだけでもすごいことだけれど)
全国大会と呼ばれる舞台にまでは届かなかった。
時間は無情に、残酷に過ぎた。
高校生活の2年が過ぎ、3年目を迎えることになった。
故障はつづき、とうとうふたりは、
まともに練習することさえできなくなった。
病院や整体に行っても解決には至らなかった。
「このまま競技をつづけて、
身体がどうなっても知りませんよ」
と、さじを投げられた。
兄も弟も、絶望的な気持ちで毎日を過ごしていた。
お父さんもお母さんも、
そんなふたりを見ているのは辛かった。
お父さん:「ケガさえなければ、故障しなければ、
ふたりがもっと跳べることはわかってるんです。
だから、できることはなんでもしてあげたかった。
そして、色々調べてこのお店を見つけました」
この店に行けば、何か道が開けるかもしれない。
お母さんは、いてもたってもいられなくなって、
その店に電話をかけた。こんな風に。
「突然ですいません。
今日は今から予約を入れることは可能でしょうか?」
お父さんはお母さんと双子の兄弟を乗せて、
京都から大阪まで車を飛ばした。
電話をかけてから2時間後には、もう店に着いていた。
こうして、京都の「跳躍ツインズ」と
オリンピアサンワーズとの物語ははじまった。
(つづきます)
そして彼は、その舞台に立つ。祝!全国インターハイ出場!800mを1分52秒でかけ抜ける高校3年生男子に今日のアムフィット!~R太郎くん伝説2016夏編(その2) ― 2016年07月29日 19時20分10秒
(つづき)
つーわけで、R太郎くんが遂に!ついに!全国インターハイに進出です!
おめでとーございまーーす!
いよっ!
つーわけで、R太郎くんが遂に!ついに!全国インターハイに進出です!
おめでとーございまーーす!
いよっ!
先日、R太郎くんはお店に来てくれました。
川見店主:「R太郎くん、すごい!よかったね!」
Rくん:「はい、ありがとうございます」
川見店主:「どんなレースでしたか?」
Rくん:「必死でした。夢中で走ってました。
自分が何位で走っているかも
まったくわかってませんでした」
川見店主:「決勝レースの動画を見ましたよ!
ゴールしてからスタンドに向かって
『どうだっ!』って得意気に叫んでたよね?」
Rくん:「『どうだ!』なんて言ってないですよ!
ゴールした時も何位かわからなかったので、
そんな得意気になる余裕はなかったですよ!」
川見店主:「じゃあ、あれは何て叫んでるの?」
Rくん:「スタンドにいる後輩が
『先輩、3位ですよ!全国大会に行けますよ!』
って声をかけてくれて、それで順位がわかって、
『ヤッター!』って言ってるんです(笑)」
そんなR太郎くんが全国インターハイへの道を
まっしぐらに駆け抜けたスパイクシューズがこちら↓
TTP518 COSMORACER MD
ほんでこのスパイクシューズを
インハイ地区予選直前の5月にフィッティングした
その時の模様をご紹介する3か月前のアムフィット!
装着したオーダーメイド・インソールは
最上級インソールのゼロ・アムフィットでした。
川見店主が入魂のアムフィット装着作業写真は3マンスアゴー!!
じゃかじゃん!
コスモレーサーMDにゼロ・アムフィット装着わず!
はい、こっちからもどん!わず!
今回のR太郎くんの奇跡の大躍進劇を見て、
川見店主は800mという競技の「おもしろさ」を
あらためて感じているらしい。
「R太郎くんは準決勝を自己ベストで走って、
それでも決勝進出はギリギリだったわけです。
それが決勝でさらに2秒もタイムを更新するし、
3位でゴールするし、こんなことってあるんですね。
何が起こるかわかりませんね。
800mってほんっとにオモシロい種目ですね!」
(川見店主談)
さて。
R太郎くんがお店に喜びの報告に来てくれた、
その別の日には彼のお母さんがご来店されました。
川見店主:「R太郎くんの全国インハイ進出おめでとうございます!」
お母さん:「ありがとうございます。
やっと行ってくれました!」
川見店主:「準決勝のレースが終わって、
決勝に進出できることがわかってから、
R太郎くんはお店に電話をくれたんですよ」
お母さん:「そうなんですってね。
もう私には何も言わないんですよ」
川見店主:「私はこう言いました。
『R太郎くんのことは中学生の頃から知ってる。
これまでがんばってきたことも全部知ってる。
明日の決勝も絶対勝てる!
絶対に全国インターハイに行ける!
私が『絶対に行け』って祈ってるから。
いや、『祈る』じゃ弱いな。
キミのこと『呪(のろ)ってる』から!』
って言ったら、彼は笑ってました(笑)」
お母さん:「あははは、激励ありがとうございました」
川見店主:「お母さんは決勝のレースを
現地で見ておられたのですよね?」
お母さん:「はい、スタンドで見てました」
川見店主:「彼がゴールした瞬間、どんなお気持ちでしたか?」
お母さん:「もう、うわーっと号泣です。
その興奮のままR太郎に会いに行ったら、
すずしい顔をして、
ポンポンと肩を叩かれました。
それで終わり。
あれ?何この温度差は?
その落ち着きは何?って思いました(笑)」
川見店主:「なんか、最近の彼は落ち着いてますよね?」
お母さん:「なんなんでしょうね、あれは(笑)」
そういえば……。
この前お店に来てくれた時、R太郎くんは、
遠くを見るような表情でこんなことを言っていた。
Rくん:「全国インターハイに行くと言っても、
全然、特別な感じがしないんですよねぇ……」
もはや彼にとって全国の舞台で戦うことは、
夢や憧れといった「特別な」ものではなくなったのだ。
前回、彼が登場したブログ(4/19付)には、
こんな題名がついている。
「100日後、彼は全国インターハイの舞台に立つ」
そう、7月31日の日曜日、彼はそこに立つ。
男子800mの予選は12時45分から。
2016年夏の「R太郎くん伝説」は、
岡山市のシティライトスタジアムで更新されます!
彼が走れば何かが起こる。これまでの「R太郎くん伝説」↓
【2013】
・5月 中学3年。オリンピアサンワーズへ初ご来店。
・7月 全中の800mで2分切りを誓う。
【2014】
・4月 全中の準決勝で2分切って、強豪高校に入学。
・6月 壮絶!高校デビュー5000mの話。
・8月 道に迷ったり捻挫したりでも優勝の話。
・9月 中距離から長距離ランナーへ挑戦の話。
【2015】
・3月 R太郎くん、800mの走り方を語る。
・7月 R太郎くんは「メレンゲ」の上を走れるのか?
・9月 高校総体優勝と近畿ユース3位の話
・11月 全国高校駅伝大阪代表予選会で区間1位の話
【2016】
・4月 R太郎くん、沖縄の海で沈みそうになる。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆
彼は左腕を空に突き上げてゴールし、スタンドに向かって「どうだ!」と叫んだ、ように見えた。~R太郎くん伝説2016夏編(その1) ― 2016年07月28日 19時20分08秒
2016年6月19日、日曜日。神戸ユニバー記念陸上競技場。
近畿インターハイ、男子800m決勝のレース。
彼は第2レーンのスタートラインに立っていた。
この勝負に勝てば、彼は全国インターハイに進出できる。
前日に行われた男子800mの予選を彼は組1位で通過した。
つづく準決勝のレースは7名×3組=21名の選手で争われた。
決勝のレースに進めるのは、
・1位と2位の選手×3組=6名
・3位以下の選手からタイム順で拾われる2名
との計8名のみ。
彼は準決勝を自己ベスト記録の1分54秒で力走した。
が、組運が悪く、3位でのゴールになってしまった。
決勝への進出は危うくなった。
全国インターハイへの夢も消えたかに思えた。
しかし、準決勝のすべてのレースが終わった後、
彼はタイム順で拾われる2名の選手のうちの
「最後のひとり」として奇跡的に生き残った。
彼も、彼を応援する周囲の人たちも
薄氷を踏むような思いをしたが、
どうあれ彼は今日の決勝の舞台へとすべりこんだのだった。
彼がこの決勝のレースで最もインコースの、
最も走りにくい第2レーンをあてがわれたのは、
(スタート時には第1レーンは使用されない)
彼がタイム順で拾われた「最も遅い」選手だったからだ。
しかし、そんな不利な条件の下でも、
彼は不思議なくらいに落ち着いていた。
自分の走りをするしかないと、心に決めていた。
さて。
彼のこの決勝のレースは、動画サイトで見ることができる。
――レース序盤、前方の選手に阻まれて彼の姿は一度最後尾に消える。
中盤、彼はアウトコースから一気に前に出ようとするが、そんな彼の走りに呼応して、すべての選手が抜きつ抜かれつのデッドヒートをはじめる。彼の順位も3~6位あたりを上がったり下がったりを繰り返す。
わからない。勝負はわからない。
しかし、最終コーナーを抜けた時、彼の姿は3番目に現れた。
最後の力をふりしぼり、死力を尽くして走り抜く。
そのまま、なんと3位でゴール。
その瞬間、彼は思わず左腕を空に突き上げていた。
そして、満面の笑みをたたえながら、スタンドに向かって両手を広げ、
「どうだ!」
と、得意気に叫んだ。
――かのように、その動画では見える。
ちなみに彼の決勝のタイムは1分52秒86。
前日の準決勝の自己ベスト1分54秒28から、
2秒近くも記録を更新してのゴールだった。
彼が走れば何かが起こる。
彼の名はR太郎くん。
今年の夏、ついに全国インターハイに出場します。
(つづきます)
近畿インターハイ、男子800m決勝のレース。
彼は第2レーンのスタートラインに立っていた。
この勝負に勝てば、彼は全国インターハイに進出できる。
前日に行われた男子800mの予選を彼は組1位で通過した。
つづく準決勝のレースは7名×3組=21名の選手で争われた。
決勝のレースに進めるのは、
・1位と2位の選手×3組=6名
・3位以下の選手からタイム順で拾われる2名
との計8名のみ。
彼は準決勝を自己ベスト記録の1分54秒で力走した。
が、組運が悪く、3位でのゴールになってしまった。
決勝への進出は危うくなった。
全国インターハイへの夢も消えたかに思えた。
しかし、準決勝のすべてのレースが終わった後、
彼はタイム順で拾われる2名の選手のうちの
「最後のひとり」として奇跡的に生き残った。
彼も、彼を応援する周囲の人たちも
薄氷を踏むような思いをしたが、
どうあれ彼は今日の決勝の舞台へとすべりこんだのだった。
彼がこの決勝のレースで最もインコースの、
最も走りにくい第2レーンをあてがわれたのは、
(スタート時には第1レーンは使用されない)
彼がタイム順で拾われた「最も遅い」選手だったからだ。
しかし、そんな不利な条件の下でも、
彼は不思議なくらいに落ち着いていた。
自分の走りをするしかないと、心に決めていた。
さて。
彼のこの決勝のレースは、動画サイトで見ることができる。
――レース序盤、前方の選手に阻まれて彼の姿は一度最後尾に消える。
中盤、彼はアウトコースから一気に前に出ようとするが、そんな彼の走りに呼応して、すべての選手が抜きつ抜かれつのデッドヒートをはじめる。彼の順位も3~6位あたりを上がったり下がったりを繰り返す。
わからない。勝負はわからない。
しかし、最終コーナーを抜けた時、彼の姿は3番目に現れた。
最後の力をふりしぼり、死力を尽くして走り抜く。
そのまま、なんと3位でゴール。
その瞬間、彼は思わず左腕を空に突き上げていた。
そして、満面の笑みをたたえながら、スタンドに向かって両手を広げ、
「どうだ!」
と、得意気に叫んだ。
――かのように、その動画では見える。
ちなみに彼の決勝のタイムは1分52秒86。
前日の準決勝の自己ベスト1分54秒28から、
2秒近くも記録を更新してのゴールだった。
彼が走れば何かが起こる。
彼の名はR太郎くん。
今年の夏、ついに全国インターハイに出場します。
(つづきます)
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