我世界に勝つ~ハリマヤシューズを生みだした黒坂辛作氏の新聞記事2012年03月10日 16時33分20秒

伝説のハリマヤシューズを生み出した黒坂辛作氏。
そのひい孫さんである輝凛さんがお送りくださった貴重な新聞記事を全文掲載します。

「我世界に勝つ」

この記事は、おそらく1936年に書かれたもののようです。この年に開催されたベルリンオリンピックで、マラソンは日本代表の孫基禎選手が金メダル、南昇龍選手が銅メダル(当時は朝鮮半島が日本に併合されていたという背景があります)、ということを知っておくと、内容がわかりやすいかもしれません。

ベルリンオリンピック、マラソン日本代表で金メダルの孫基禎選手↓


その他、
・ハリマヤ足袋店は、1903年に東京文京区大塚で創業
・金栗四三選手は、1912年のストックホルムオリンピックに出場。
・アントワープオリンピックは1920年開催
・ロサンゼルスオリンピックは1932年開催
ということが参考になると思います。

では、じっくりお読みくださ~い!


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「我世界に勝つ~マラソン足袋の開祖が狂喜 裏に刻む苦心三十年」

日本のマラソンを今日の栄誉あらしめた二十四年間、「マラソン王」と言われた金栗氏の頃から長距離用運動足袋を作り、今度の孫、南両選手によって輝かしい世界的存在になった足袋屋さんがある。大塚仲町の小さい足袋屋黒坂さん(54)がそれだ。日本の喜びを背負ったように一人悦(えつ)に入っている。

【黒坂さん】
よかったですなぁ。あの足袋も殆(ほとん)ど完全に近いことになった訳ですよ。金栗さんが高等師範の生徒さんだった頃に私に注文されて作った足袋で「金栗スポーツ足袋」ですよ。――五、六度も改良しましたかな――孫さんのは、十文半で南さんのは十文、●●さんのも十文半です。一人五足づつ持っていかれましたが中にも南さんは非常に熱心で、製作中はいつも仕事場についていて、指●されました。

◇・・・・

黒坂さんの語る「足袋から見たマラソン発達史」は面白い。

【黒坂さん】
金栗さんの高師在学中より少し前吉田保さんの時から足袋を作りましたが、三十年も前になりますよ。その後大宮までのマラソンが金栗さん達でやられましたが、その時は日本足袋も軽い方がよいというので、底も一重でしたが、金栗さんが研究されて底を三重にしました。それが、アントワープから使われましたよ。やがてコハゼを運動靴式に紐結びにしました。道がコンクリートやアスファルトになると共に地下足袋のようなゴム底にしたのです。新案特許をとってから十七年になります。これまでのオリンピックにはづっとこれです。ロサンゼルスに津田さん達の行かれた時だけ靴でした。

◇・・・・

【黒坂さん】
孫さんがレースの終いに足袋で足が痛くなったということですが、足袋は五足それも少しづつちがったもので、どれをはかれたんですかね。今度の注文は非常にこの足袋を重要視されて・・・・<2行ほど解読不能>・・・小さいと血まめが出て内出血するし、紙一重のところです。長い距離を走ると足がふやけて少し大きくなります。最後の五六マイルで足袋がつまってくる、少し痛いなというところでレースが終わる・・・・・・・というのが足袋を作るコツです。こうして私は三十年どうすればうまく走れるか研究し先生や選手達のいうままに作って来たのですがお蔭でマラソンは足袋にかぎるということになりましたね――外国にはこんな指の股のついたのなんかないでしょうな、ハハハ――

と欠けた歯を出して得意そうに笑った。栄冠の裏にこの苦心――三十年目に報いられた足袋屋さんの技術の誉れ・・・・・・・


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以上が全文です。

もう、今日のブログは、新聞記事内容がすべてですね。

余計なことは、語らないでおきます。


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