中学生の時、弟は走幅跳びをはじめた。兄はそれを見て三段跳びの選手になった。~京都「跳躍ツインズ」物語(その1)2016年07月30日 19時15分25秒

話は5か月前まで遡(さかのぼ)る。
あれは確か2月の末の土曜日、
その電話がかかってきたのは午後3時頃だったと記憶する。
受話器から聞こえる女性の声。

「突然ですいません。
 今日は今から予約を入れることは可能でしょうか?」


店はすでに他のお客様で混雑していたし、
それからの時間の予約も詰まっていた。
今から予約を入れるのはムズカシイなと思いながら、
こたえる。

「どんなシューズのフィッティングをご希望ですか?」

「息子が陸上競技をやっています。
 三段跳び
と走り幅跳びの選手です」

お話を聞くと、その息子さんは超強豪高校の選手で、
三段跳びも走幅跳びも相当な記録の持ち主だった。

「ただ、ずっと故障がつづいていて、
 今はまともに跳ぶことができていないのです」

お母さんと思しきその女性の声には、
息子さんのことを思う切なる気持ちがこもっていた。
これはなんとかしないと、と思う。

「わかりました。
 ただ、お待ちの時間が長くなるかもしれませんし、
 今日はお話するだけになるかもしれませんが、
 それでよろしければ、一度ご来店されますか?」

「わー、よかった!ありがとうございます!」

「それにしても息子さんは
 走幅跳びも三段跳びもそんな記録で跳べるなんて、
 すごい選手なんですね!
 なかなかひとりでそこまでの競技をこなせません」


「あのー、ちがうんです。双子の兄弟なんです。
 兄が三段跳びを、弟が走り幅跳びをやっているのです」



★☆★☆★☆★☆★☆★☆

その双子の兄弟は、小学生の頃は水泳に夢中だった。
しかし、中学生になったらそろって陸上部に入部した。
走ることが好きだったわけではない。
入学した新設の中学校にはプールがなかったのだ。

弟の方は走幅跳びをはじめた。その理由。

弟:「中学校の体力測定でやった立ち幅跳びが
   学年で一番だったので、できるかなと思って。
   それと、走るのはしんどくていやだなぁと(笑)」


兄の方はとりあえず短距離走をはじめた。
兄は毎日グラウンドを走っていた。
弟は砂場で走幅跳びの練習をしていた。
兄には、弟の走幅跳びの練習がとても「楽そう」に見えた。
兄も実は、走るのはしんどくてイヤだなぁと思っていた。

兄:「アイツ(弟)だけ楽な練習をしていいなぁ、
   と思ってました(笑)」


動機がどうあれ、兄は顧問の先生に相談する。
先生、僕も走幅跳びがしたいです。
その時の先生の答えが、兄弟のその後を決めることになる。

先生:「兄弟ふたりで同じ種目をやっても、
    ふたり一緒には一番になれないだろう?
    だから兄のキミは三段跳びをやったらいい」

こうして、兄は三段跳び、弟は走幅跳びの
「跳躍ツインズ」が誕生した。

兄:「はじめは三段跳びがなんだかよくわからなくて、
   四段跳びになってましたけども(笑)」


「走ることが好きではない」双子の兄弟であるが、
こと跳躍に関しては凡人にはない力を秘めていた。
ほどなくして、その跳躍力は炸裂する。
兄は中学2年生にして京都市の大会で三段跳び優勝、
地元の新聞記事になるほど話題になった。
弟は中学3年の時に全中(全日本中学校陸上競技選手権)
に出場するまでの選手になった。
ふたりの活躍はめざましかった。
出場する試合の大会記録は、
ふたりによって塗り替えられていった。
「跳躍ツインズ」は地元京都では有名になっていた。

お父さん:「あの頃のふたりは、
      勝って当たり前、みたいな感覚でした」

中学を卒業し、ふたりは同じ強豪高校の陸上部に入部。
ふたりの将来は前途洋々に思えた。
もちろん全国を舞台に戦う選手になるはずだった。
しかし、雲行きが変わった。
彼らは、ふたりとも、ケガを繰り返すようになった。
故障し、復調しては、また故障した。
それでも彼らは、その非凡な跳躍力にモノを言わせ、
自己ベストを更新したり近畿大会にも進出したが、
(それだけでもすごいことだけれど)
全国大会と呼ばれる舞台にまでは届かなかった。

時間は無情に、残酷に過ぎた。
高校生活の2年が過ぎ、3年目を迎えることになった。
故障はつづき、とうとうふたりは、
まともに練習することさえできなくなった。
病院や整体に行っても解決には至らなかった。
「このまま競技をつづけて、
 身体がどうなっても知りませんよ」
と、さじを投げられた。
兄も弟も、絶望的な気持ちで毎日を過ごしていた。
お父さんもお母さんも、
そんなふたりを見ているのは辛かった。

お父さん:「ケガさえなければ、故障しなければ、
     ふたりがもっと跳べることはわかってるんです。
     だから、できることはなんでもしてあげたかった。
     そして、色々調べてこのお店を見つけました」


この店に行けば、何か道が開けるかもしれない。
お母さんは、いてもたってもいられなくなって、
その店に電話をかけた。こんな風に。

「突然ですいません。
 今日は今から予約を入れることは可能でしょうか?」


お父さんはお母さんと双子の兄弟を乗せて、
京都から大阪まで車を飛ばした。
電話をかけてから2時間後には、もう店に着いていた。

こうして、京都の「跳躍ツインズ」と
オリンピアサンワーズとの物語ははじまった。


(つづきます)


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