そのシューズは、日本のマラソンとランニングシューズ100年の歴史を物語る。~“金栗四三のマラソンシューズ”がやってきた(その2) ― 2013年08月02日 18時57分53秒

(つづき)
そのシューズは、思っていたよりもサイズは小さかった。

しかし、この小さなシューズこそが、
金栗四三さんからはじまった
日本の「マラソン」と「ランニングシューズ」
その100年の歴史を物語る――。
【金栗四三】(1891-1983)。
“日本マラソンの父”。
日本で初めてのオリンピック選手。
フルマラソンを「54年と8ヶ月6日5時間32分20秒03」で完走の伝説。
箱根駅伝の創設者。
生涯の走行距離25万キロ(地球6周と4分の1)。
日本マラソン史のみならず、
スポーツ史に屹立する偉人であり巨人。

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【1912-1951年】
1912年ストックホルム・オリンピックのポスター

(徳永さん所蔵のポートレートより)
1912年、ストックホルム五輪。
日本人初のオリンピック選手としてマラソンに出場した金栗さんは、
「足袋(たび)」を履いて走りました。
その足袋を作ったのが、「播磨屋(はりまや)足袋店」の
足袋職人・黒坂辛作(くろさか・しんさく)さんです。
【黒坂辛作】〈1880-?〉
「播磨屋足袋店」(後のハリマヤ)創業者。
1912年、ストックホルム五輪。
日本人初のオリンピック選手としてマラソンに出場した金栗さんは、
「足袋(たび)」を履いて走りました。
その足袋を作ったのが、「播磨屋(はりまや)足袋店」の
足袋職人・黒坂辛作(くろさか・しんさく)さんです。
【黒坂辛作】〈1880-?〉
「播磨屋足袋店」(後のハリマヤ)創業者。

(写真は黒坂さんの“曾孫”輝凛さんからご提供いただいた新聞記事より)
その後、
金栗さんと黒坂さんは共同で「マラソン足袋」の開発を続けました。
進化する「マラソン足袋」は「金栗(かなぐり)足袋」と呼ばれ、
歴代の日本マラソン選手たちが愛用しました。
1936年ベルリン五輪では日本代表の孫基禎選手がマラソンで金メダル。
1951年アメリカ・ボストンマラソンでは、田中茂樹選手が優勝。
いずれも「金栗足袋」で走り、世界を制しました。
日本マラソンの歴史が1912年にはじまったとするならば、
実に40年もの間、日本のマラソン選手は
播磨屋の「マラソン足袋」で走るのが主流だったのです。
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【1950-1953年】
1953年、山田敬蔵(やまだ・けいぞう)さんがボストンマラソンで優勝。
この時、山田さんは日本で“初めて”の“マラソンシューズ”とされる
「ハリマヤ」社製の「カナグリシューズ」で走りました。
山田敬蔵(1927-)
(1953年アメリカ・ボストンマラソン優勝時の山田敬蔵さん)
山田さんの1953年ボストンマラソン優勝をきっかけに
マラソンを「足袋」で走っていた時代は終わり、
「マラソンシューズ」の時代が本格的に幕を開けたと考えられます。
その後、
金栗さんと黒坂さんは共同で「マラソン足袋」の開発を続けました。
進化する「マラソン足袋」は「金栗(かなぐり)足袋」と呼ばれ、
歴代の日本マラソン選手たちが愛用しました。
1936年ベルリン五輪では日本代表の孫基禎選手がマラソンで金メダル。
1951年アメリカ・ボストンマラソンでは、田中茂樹選手が優勝。
いずれも「金栗足袋」で走り、世界を制しました。
日本マラソンの歴史が1912年にはじまったとするならば、
実に40年もの間、日本のマラソン選手は
播磨屋の「マラソン足袋」で走るのが主流だったのです。
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【1950-1953年】
1953年、山田敬蔵(やまだ・けいぞう)さんがボストンマラソンで優勝。
この時、山田さんは日本で“初めて”の“マラソンシューズ”とされる
「ハリマヤ」社製の「カナグリシューズ」で走りました。
山田敬蔵(1927-)

山田さんの1953年ボストンマラソン優勝をきっかけに
マラソンを「足袋」で走っていた時代は終わり、
「マラソンシューズ」の時代が本格的に幕を開けたと考えられます。

調査の結果、この“金栗四三のマラソンシューズ”は、
金栗さんと「ハリマヤ」の共同開発によって
1950-51年頃に作られた、
「カナグリシューズ」の最も初期のモデルだと鑑定されました。
つまり、1953年ボストンマラソンで優勝した
山田さんの「カナグリシューズ」よりもさらに古い、
マラソンシューズの“原型”とでも呼べるシューズだったのです。
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【1950年-現在】
1950-51年頃に生産されたとされる
“金栗四三のマラソンシューズ”は180gほどの重量しかありません。
例えば現在、
アシックスのマラソンシューズの重量は、サイズ25.0cmで140gほど。
スピードランニング用のターサーは、同サイズで160gほどです。
マラソンシューズの2013年最新モデル SORTIE MAGICRICE↓

定番のマラソンシューズやランニングシューズが、
外国のランニングシューズよりも軽量に実現できたのは、
「日本のランニングシューズのはじまりが、
ハリマヤの“カナグリシューズ”だったからだ」
と川見店主は考えています。
「日本マラソンの父」金栗四三さん。
「ハリマヤ創業者」黒坂辛作さん。
このおふたりがいらっしゃらなければ、
日本のマラソンとランニングシューズは、
現在のようなレベルには到達していなかったかもしれません。
さらに、この“金栗四三のマラソンシューズ”には、
“これから”のランニングシューズづくりの“ヒント”があると
川見店主は思っています。
ランニングシューズの“過去”と“未来”。
なんとも壮大な「歴史」と「ロマン」を感じさせるシューズなのでした。

社会人サブスリーランナーのおふたりと、
強豪校に所属する高校生ランナーとオレ。
「へぇー、これがランニングシューズの“原型”!」

高校時代は3000m障害の選手だったMドクター(左)が、
診察が終わってから、かけつけて来られました。
この日のために設置した“ハリマヤ・コーナー”の前で川見店主と語り合う。
川見店主 :「ほら、これが金栗さんのシューズ」
Mドクター :「ほぉー、軽いですねぇ」

徳永さんと“金栗四三のマラソンシューズ”を囲んで1枚。

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