全中の走高跳びで優勝した少女が、女子7種競技選手としてふたたび全国の舞台で戦う今日のアムフィット!(その1)2015年08月01日 19時30分28秒

小学1年生の時から地元の野球チームに入ったのは、
野球好きのお父さんの影響もあったし、
兄もすでに野球チームでプレーしていたから、
自分にとっても家族にとっても当然のように思っていた。

その頃から器用だったのだ。
外野以外のポジションはどこでもこなすことができた。
好きなのはピッチャーとキャッチャーで、
特にキャッチャーをするのがおもしろかった。
チーム全体を見渡し、試合を組立て、配球を考える。
カラダだけでなく頭を使ってプレーする喜びがある。
なにより、あのキャッチャーの防具を着けると、
特別な感じがして気分がいいし、かっこいいと思った。

何年生の時もスタメンは当たり前。
恵まれた体格。
幅広くプレーをこなす身体能力の高さ。
自分のような選手はチームの中には他にいなかったし、
どんな対戦相手のチームの中にも見当たらなかった。

ここで重要なことを書いておかねばならない。
この話の主人公は「彼」ではなく「彼女」である。
彼女は小学校の6年間ずっと、
野球少年たちの中でただひとりの「野球少女」だった。
自分のような選手が「他にいない」のは当然だった。

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彼女は中学校に入っても野球チームでプレーしたが、
学校のクラブは陸上競技部に入部することにした。
陸上部を選んだ理由は二つある。
ひとつめ。
「個人競技のクラブなら野球の試合の時に抜けやすい」
ふたつめ。
「走るのが速くなれば野球のプレーにもプラスになる」
彼女は中学生になっても依然として「野球少女」だった。

そんな彼女に転機が訪れる。
ひょんなことからクラブの練習中に走高跳をしてみた。
これがけっこう跳べた。
その瞬間小さくきらめいた彼女の新しい才能は、
すぐに大きな輝きをもってほとばしりはじめる。
中2の春には走高跳で県大会を優勝。
そして、中3の夏には、
なんと全中(全日本中学校選手権)優勝してしまう。

「野球少女」は「日本で一番高く跳ぶ少女」になった。

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彼女の「器用さ」は陸上競技でも花開いた。
中学では4種、高校では7種の混成種目もこなした。

女子4種:100mH、走高跳、砲丸投、200m
女子7種:上の4種+走幅跳、やり投げ、800m

「日本一跳んだ」中3の全中でも4種は6位。
高2の時は、全国インターハイで7種が8位、
日本ユースでは走高跳で6位に入賞するなど、
華々しい結果を残している。

しかし、その後の彼女はケガに悩まされた。
高校最後のシーズンも、
大学に進学してからも、苦しい時期がつづいた。
一度は「日本の頂点」に立った彼女の姿は、
全国クラスの舞台からしばらく消えることになった。

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彼女の姿がふたたび「全国」の舞台に現れたのは、
昨年(2014)の春。
彼女は大学3回生になっていた。
まずは関西インカレで走高跳7種優勝して2冠達成
そして、念願の日本選手権(混成)に初出場を果たした。
彼女の名は全日本ランキングの上位に突如として現れた。
その復活劇は、
彼女を知るすべての人々から驚きと称賛で迎えられた。

今、彼女は大学4回生になっている。
もちろん今年7月の日本選手権(混成)にも出場、
入賞する活躍ぶりだった。

彼女はどのようにして復活を果たしたのか?
はじまりは2年前の夏だった。


(つづきます)




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