彼は、箱根を越えた。~Are You Ready? 2015(70) ― 2015年01月06日 19時35分03秒
箱根駅伝「5区」。
小田原から箱根の芦ノ湖まで、走行距離は23.2km。
標高差864mの険しい山上(のぼ)りのコース。
時に寒風が吹き荒れ、雪が降りしきり、路面は凍りつき、
上る者の行く手を阻(はば)む。
この区間に苦しみ力尽きていく選手たちの姿を
僕らはこれまでにもどれだけ目にしてきたことだろう。
彼は――「箱根」を「越える」ことができるだろうか?
マラソン・ランニングに挑戦するみなさんを勝手にワイワイ応援ブログ
「Are You Ready?2014-2015」
第70回目は、第91回箱根駅伝をかけ抜けたあの選手の話。
-----------------
【2014年11月2日、全日本大学駅伝】
彼が全国高校駅伝で都大路を走ったのも「花の1区」だった。
昨年と一昨年の箱根駅伝でも彼は「1区」を激走した。
彼はいつもチームに勝利の突破口を切り開き、
必ず上位に切り込んで襷(たすき)をつなぐ。
ここ数年、彼が所属する大学の競走部は、
駅伝で日本一を十分に狙えると評判が高かった。
近年稀にみる選手層の充実ぶりだと話題だった。
2014年11月2日。全日本大学駅伝。
この日も彼は「1区」を走ったが、
自分の思うようには「走れなかった」。
彼を知る人たちは「まさか」と思った。
彼のタイムも順位も、誰もが想像しない結果に終わった。
それでも彼のチームは懸命に襷を繋(つな)ぎ、盛り返し、
最終的には2位に食い込んだ。
しかし(だからこそ)、優勝を逃したことに対して、
新聞やネットや専門誌の記事では、
1区で失速した彼に厳しい言葉が投げつけられた。
「活躍できなかった」ことさえも記事にされる。
彼は大学の4年間で「それほどの」選手になっていた。
レース後、川見店主は彼のことが心配だった。
この日に彼が履いたシューズとインソールも、
数日前に彼に送ったばかりだった。
彼に直接電話をして声をかけたかったが、少し気が引けた。
代わりに、彼のことをよく知るSくんに電話をかけた。
川見店主:「彼、大丈夫かな?落ち込んでないかな?」
Sくん :「ああ、あの先輩なら大丈夫です。心配ないですよ」
彼とSくんは、高校時代には陸上部の「先輩」と「後輩」だった。
Sくんは試合になるとよく「先輩」の「付き人」をしていたのだ。
Sくんは高校時代のこんなエピソードを教えてくれた。
ある試合で「先輩」は結果を出せなかった。
当然「先輩」は落ち込んでしまっているだろうと思った。
しかし、「先輩」は自分のレースが終わると、
そのまま陸上競技場の外へ走りに行き、
インターバルの練習をはじめた。
「先輩」は次の試合に向けてすでに練習を開始したのだ。
Sくん:「もう、次に向かっているんです。
先輩はそういう人です。だから大丈夫です」
-----------------
【2014年12月下旬】
川見店主は知っていた。
彼は夏頃から故障がちだったのだ。
練習も十分に積み上げてこれたとは言えない。
調子は決して良くはない。
先月の全日本大学駅伝はその結果でもある。
だから、彼が箱根駅伝で「5区」を走ると聞いた時、
川見店主は戸惑いを隠せなかった。
電話の向こうの彼に言った。
「あの厳しい5区だけは走らないでって思ってたのに」
彼は答えた。
「誰かが走らなければならないんです。
ならば、僕が走らないわけにはいかないじゃないですか」
クリスマスが過ぎた頃、
彼は箱根を走るためのマラソンシューズを2足送ってきた。
川見店主は、彼の調子と箱根「5区」をイメージしながら、
2足のマラソンシューズに、
それぞれタイプの異なった2種類のインソールを作成した。
2足のシューズはいずれもアシックスの別注です。
オーダーメイドインソール・アムフィットを装着作業中の川見店主。
インソール工房はただならぬ緊張感に↓
小田原から箱根の芦ノ湖まで、走行距離は23.2km。
標高差864mの険しい山上(のぼ)りのコース。
時に寒風が吹き荒れ、雪が降りしきり、路面は凍りつき、
上る者の行く手を阻(はば)む。
この区間に苦しみ力尽きていく選手たちの姿を
僕らはこれまでにもどれだけ目にしてきたことだろう。
彼は――「箱根」を「越える」ことができるだろうか?
マラソン・ランニングに挑戦するみなさんを勝手にワイワイ応援ブログ
「Are You Ready?2014-2015」
第70回目は、第91回箱根駅伝をかけ抜けたあの選手の話。
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【2014年11月2日、全日本大学駅伝】
彼が全国高校駅伝で都大路を走ったのも「花の1区」だった。
昨年と一昨年の箱根駅伝でも彼は「1区」を激走した。
彼はいつもチームに勝利の突破口を切り開き、
必ず上位に切り込んで襷(たすき)をつなぐ。
ここ数年、彼が所属する大学の競走部は、
駅伝で日本一を十分に狙えると評判が高かった。
近年稀にみる選手層の充実ぶりだと話題だった。
2014年11月2日。全日本大学駅伝。
この日も彼は「1区」を走ったが、
自分の思うようには「走れなかった」。
彼を知る人たちは「まさか」と思った。
彼のタイムも順位も、誰もが想像しない結果に終わった。
それでも彼のチームは懸命に襷を繋(つな)ぎ、盛り返し、
最終的には2位に食い込んだ。
しかし(だからこそ)、優勝を逃したことに対して、
新聞やネットや専門誌の記事では、
1区で失速した彼に厳しい言葉が投げつけられた。
「活躍できなかった」ことさえも記事にされる。
彼は大学の4年間で「それほどの」選手になっていた。
レース後、川見店主は彼のことが心配だった。
この日に彼が履いたシューズとインソールも、
数日前に彼に送ったばかりだった。
彼に直接電話をして声をかけたかったが、少し気が引けた。
代わりに、彼のことをよく知るSくんに電話をかけた。
川見店主:「彼、大丈夫かな?落ち込んでないかな?」
Sくん :「ああ、あの先輩なら大丈夫です。心配ないですよ」
彼とSくんは、高校時代には陸上部の「先輩」と「後輩」だった。
Sくんは試合になるとよく「先輩」の「付き人」をしていたのだ。
Sくんは高校時代のこんなエピソードを教えてくれた。
ある試合で「先輩」は結果を出せなかった。
当然「先輩」は落ち込んでしまっているだろうと思った。
しかし、「先輩」は自分のレースが終わると、
そのまま陸上競技場の外へ走りに行き、
インターバルの練習をはじめた。
「先輩」は次の試合に向けてすでに練習を開始したのだ。
Sくん:「もう、次に向かっているんです。
先輩はそういう人です。だから大丈夫です」
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【2014年12月下旬】
川見店主は知っていた。
彼は夏頃から故障がちだったのだ。
練習も十分に積み上げてこれたとは言えない。
調子は決して良くはない。
先月の全日本大学駅伝はその結果でもある。
だから、彼が箱根駅伝で「5区」を走ると聞いた時、
川見店主は戸惑いを隠せなかった。
電話の向こうの彼に言った。
「あの厳しい5区だけは走らないでって思ってたのに」
彼は答えた。
「誰かが走らなければならないんです。
ならば、僕が走らないわけにはいかないじゃないですか」
クリスマスが過ぎた頃、
彼は箱根を走るためのマラソンシューズを2足送ってきた。
川見店主は、彼の調子と箱根「5区」をイメージしながら、
2足のマラソンシューズに、
それぞれタイプの異なった2種類のインソールを作成した。
2足のシューズはいずれもアシックスの別注です。
オーダーメイドインソール・アムフィットを装着作業中の川見店主。
インソール工房はただならぬ緊張感に↓
![](http://sunwards.asablo.jp/blog/img/2015/01/05/36bce7.jpg)
1足目のマラソンシューズに装着したのは、
最上級インソールのゼロ・アムフィットです。
![](http://sunwards.asablo.jp/blog/img/2015/01/05/36bce8.jpg)
箱根を越えろ!
こっちからもゼロ・アムフィットどうだっ!
![](http://sunwards.asablo.jp/blog/img/2015/01/05/36bce9.jpg)
2足目のマラソンシューズに装着したのは、
アムフィット・スタンダードです。
![](http://sunwards.asablo.jp/blog/img/2015/01/05/36bcea.jpg)
こっちのアムフィットは「スタンダード」と言えど、
箱根越えの「秘策」として特別な調整を加えてあります。
![](http://sunwards.asablo.jp/blog/img/2015/01/05/36bceb.jpg)
当日、どちらのシューズで箱根を越えるのか?
それは、「彼」の判断にゆだねることになりました。
![](http://sunwards.asablo.jp/blog/img/2015/01/05/36bcec.jpg)
2足のシューズにアムフィットの装着作業が終わった時、
川見店主は、早くシューズを箱に収めてほしいと言った。
あの「5区」を無事に走り切ることができるだろうか?
シューズを見ているとそんな不安が襲ってくる。
インソールは「完成」したのか?調整は「正解」なのか?
そんな惑いが胸の中で渦巻き、
際限なくアムフィットの調整に手を加えてしまいそうになる。
だからもう、そのシューズを私に見えないようにしてほしい。
「5区」を走るプレッシャーは、川見店主にもあった。
祈るような気持ちで、2足のシューズとインソールを彼に送った。
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【2015年1月2日。箱根駅伝。往路5区】
お正月のテレビには、今年も彼の走る姿が映っていた。
3位で襷を受けた彼は、箱根の山中で
前を走るK大学のランナーを追い抜いた。
その時、テレビの実況は、
「M大学のF選手、素晴らしいスパートだ!」と絶叫した。
彼はそのまま、往路のテープを2位で切った。
レース後、しばらく時間を置いてから
川見店主は彼にメッセージを送った。
「あなたの力走に感動しました。
ありがとう。おつかれさまでした」
彼は、こんな言葉を返してきた。
「応援ありがとうございました。
情けないですが、あれが今の僕の精一杯です」
その潔(いさぎよ)さに、川見店主は泣けた。
翌日、某新聞の朝刊にはこんな記事が載っていた。
<(M大学が)安定した走りでタスキをつなげた理由は、
ちょうど1年前に遡(さかのぼ)る。
6位に終わった前回大会直後、F選手が山上り5区に志願した。
『僕が上ります。そうしないと勝てない』。
浮沈のカギを握る区間が埋まり、チームに太い芯が通った。
Fは左太ももの状態が万全ではなかったが、力走した。
3位でタスキを受け取ると20キロ過ぎにK大学をとらえ、
2位に浮上した。
ただ、ほぼ同時にスタートしたA大学・K選手ははるか先だった。
Kにつけられた約5分が、そのまま復路のハンディとなった。
『歯が立たなかった。申し訳ない』
と涙を流すFを責めるチームメートは一人もいない。>
今度は「活躍した」ことが記事になった。
「それほどの」選手であることを証明して
彼は競技生活で最後の「箱根」を「越えた」。
そして彼は――すでに「次」を目指して走っているだろう。
「そういう人」なのだ。
<すべての選手たちにも最大の賛辞を。>
Are You Ready?
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