2013年夏。男子100mで奇跡の全国インターハイ出場を果たしたスプリンターに今日のアムフィット!(その1) ― 2015年03月24日 19時50分33秒
彼は、夢の舞台に立っていた。
2013年、夏、大分県のとある陸上競技場。
全国インターハイ、男子100m準決勝。
-----------------
彼は中学校へ入学すると陸上競技部に入った。
短距離や走幅跳びが楽しそうに思えた。
お母さんは彼に一生懸命がんばらせてあげたかったし、
ケガや故障もしないでほしかった。
そのために足に合ったシューズを合わせてあげようと、
彼がお母さんに連れられて初めて店にやってきたのは、
今から7年前の話だ。
彼は「普通」の男の子だった。
そして「普通」の中学生として三年間一生懸命に走りつづけた。
彼は高校に入学してからも陸上競技をつづけた。
100mは11秒台前半で走れるようになった。
「普通」の高校生としては、
そこそこ速く走れるスプリンターになっていった。
(2012年4月のシュー・フィッティング記事)
(2012年5月のシュー・フィッティング記事)
高校2年の秋、彼は初めて100mで11秒の壁を破る。
記録は10秒93。
「普通」の高校生としては、立派な記録だった。
(2012年12月のシュー・フィッティング記事)
高校3年の春、彼は「夢の舞台」である
全国インターハイへの出場を密かに狙っていた。
ずっと彼のシューズをフィッティングしてきた
川見店主も同じ気持ちだった。
夢の舞台へ立つ準備は、誰にも知られずに進められた。
彼のために用意された2足のスパイクシューズは、
彼とオリンピアサンワーズがともに走ってきた5年間の、
30足にわたるシュー・フィッティングの集大成だった。
「オリンピア史上最高傑作」との呼び名も高い、
ゼロ・アムフィット搭載の2足のスパイクシューズ↓
(2013年3月赤のスパイクシューズ・フィッティング記事)
(2013年4月青のスパイクシューズ・フィッティング記事)
この2足のスパイクシューズを履いて、
彼は「未知」の世界へと勇ましく切り込んでいった。
彼が男子100mで大阪大会を突破した時、
「あの速い選手は一体誰だ?」
と、大阪の陸上競技関係者たちは驚きを隠せなかった。
人々が驚いたのも無理はない。
ほんの数か月前まで、
彼は公立進学校に通う「普通」の男の子だったのだから。
彼の存在もまた多くの人にとっては「未知」だった。
彼は近畿大会でも「未知」の領域に切り込んだ。
男子100mの予選で10秒77、
決勝で10秒66と自己ベスト記録を連発。
第3位に躍り出て全国インターハイへの出場を決めた。
(2013年6月の全国インターハイ出場を祝う記事)
-----------------
6月の近畿大会の決勝でも、
8月の全国インターハイの準決勝でも、
彼の隣のレーンで走ったのは、
4月の織田記念陸上競技大会で100mを「10秒01」で走り
日本中をアッと言わせていたスーパー高校生K選手だった。
あの日あの時のレースを、
彼は笑いながらこんな風に話してくれる。
「だって、走ればいつも隣がK選手ですよ。
スタートして真っ先に見えるのがK選手の背中です。
K選手が速すぎて、笑ってしまいそうでした」
夢の舞台は準決勝で終わった。
彼にとって、2013年の夏は、特別に熱かった。
(つづきます)
2013年、夏、大分県のとある陸上競技場。
全国インターハイ、男子100m準決勝。
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彼は中学校へ入学すると陸上競技部に入った。
短距離や走幅跳びが楽しそうに思えた。
お母さんは彼に一生懸命がんばらせてあげたかったし、
ケガや故障もしないでほしかった。
そのために足に合ったシューズを合わせてあげようと、
彼がお母さんに連れられて初めて店にやってきたのは、
今から7年前の話だ。
彼は「普通」の男の子だった。
そして「普通」の中学生として三年間一生懸命に走りつづけた。
彼は高校に入学してからも陸上競技をつづけた。
100mは11秒台前半で走れるようになった。
「普通」の高校生としては、
そこそこ速く走れるスプリンターになっていった。
(2012年4月のシュー・フィッティング記事)
(2012年5月のシュー・フィッティング記事)
高校2年の秋、彼は初めて100mで11秒の壁を破る。
記録は10秒93。
「普通」の高校生としては、立派な記録だった。
(2012年12月のシュー・フィッティング記事)
高校3年の春、彼は「夢の舞台」である
全国インターハイへの出場を密かに狙っていた。
ずっと彼のシューズをフィッティングしてきた
川見店主も同じ気持ちだった。
夢の舞台へ立つ準備は、誰にも知られずに進められた。
彼のために用意された2足のスパイクシューズは、
彼とオリンピアサンワーズがともに走ってきた5年間の、
30足にわたるシュー・フィッティングの集大成だった。
「オリンピア史上最高傑作」との呼び名も高い、
ゼロ・アムフィット搭載の2足のスパイクシューズ↓

(2013年4月青のスパイクシューズ・フィッティング記事)
この2足のスパイクシューズを履いて、
彼は「未知」の世界へと勇ましく切り込んでいった。
彼が男子100mで大阪大会を突破した時、
「あの速い選手は一体誰だ?」
と、大阪の陸上競技関係者たちは驚きを隠せなかった。
人々が驚いたのも無理はない。
ほんの数か月前まで、
彼は公立進学校に通う「普通」の男の子だったのだから。
彼の存在もまた多くの人にとっては「未知」だった。
彼は近畿大会でも「未知」の領域に切り込んだ。
男子100mの予選で10秒77、
決勝で10秒66と自己ベスト記録を連発。
第3位に躍り出て全国インターハイへの出場を決めた。
(2013年6月の全国インターハイ出場を祝う記事)
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6月の近畿大会の決勝でも、
8月の全国インターハイの準決勝でも、
彼の隣のレーンで走ったのは、
4月の織田記念陸上競技大会で100mを「10秒01」で走り
日本中をアッと言わせていたスーパー高校生K選手だった。
あの日あの時のレースを、
彼は笑いながらこんな風に話してくれる。
「だって、走ればいつも隣がK選手ですよ。
スタートして真っ先に見えるのがK選手の背中です。
K選手が速すぎて、笑ってしまいそうでした」
夢の舞台は準決勝で終わった。
彼にとって、2013年の夏は、特別に熱かった。
(つづきます)
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